Seize the Day

Carpe diem/今をいきる

イギリス・リバプールでの暮らし【Week1】

【2019.10.5】

10時前、成田空港を出発。

フィンランド航空を使い、ヘルシンキ空港で乗換。

向かうはイギリスの港町リバプール

 

こちらに到着したのは、現地時刻6日の夕方。

曇り空と冷え切った空気は、ロングフライトで疲れ切った私にはかなり応えたみたい。

 

寮の近くのコンビニ前にはホームレス。

キッチンはなんだか生ごみ臭いし、同じフロアの中国人からの冷ややかな目線。

極めつけは狭すぎるシャワールーム。

 

4か月もの間、日本には戻れないのかと思うと

何の覚悟もせずに現地に飛び立った数日前の自分を𠮟りつけたくなったり。

 

ベッドが柔らかかったのが救いでした。

 

 

【2019.10.6~】

時差ぼけも特になく、ぐっすり眠れたお陰か目覚めは快調。晴れていたこともあって、街に出たくなりました。

 

日曜の朝と言えば礼拝。

 

これを異国の地でも思い出してしまうのは、6年間の教育のおかげと言うかなんと言うか。

 

カメラと聖書片手に一人向かったのはリバプール大聖堂

 

出かけて良かった、とつくづく。

日本の教会にしか行ったことのなかった私には、イギリスの聖堂というだけでもとても輝いて見えました。

教会、礼拝の場、というよりは観光地だけれども。大事なことを思い出しました。

 

それは、イギリスを選んだ理由の一つに、キリスト教への興味があったということ。

日本人は宗教にとてもルーズで、曖昧な宗教観しか持っていない。紛れもないこの事実に違和感を覚えたのは、大学に入ってから。でも、神様を信じてみたいという思いは高校2年のあたりから確実に私の心の中にあったわけです。

 

どうしてキリスト教世界三大宗教になったのか?

どうして日本人は曖昧な宗教観しか持っていないのか?

国教って何さ?宗教行事と国民の生活との関係性は?

私にとっての「宗教」とは?宗教って心の拠り所?神様って?

 

形式的な回答は持ち合わせているし、それっぽい議論も出来るけど。

そうではなくて、もっと「感じて」みたいと思ってイギリスに来た。

ということを忘れずに過ごしたい。

 

とりあえず、日曜に教会に行く習慣をつけたいと思っています。

 

 

【2019.10.7~11】

午前のクラスと午後のクラス。3限全てが始まったのは8日の火曜日から。

若さあってか、こちらでの生活に慣れるのにそう時間はかかりませんでした。

 

キッチンはゴミ箱を少し綺麗にして窓を開ければ、新鮮な外の空気が入ってきました。

日本とは「ホームレス」の概念が少し違うのかもしれなくて、そんなに恐れる存在でもありませんでした。

同じフロアの中国人とは、それなりの距離感で仲良くやっていけそうです。親切にしてくれています。

シャワールームも上手く使えば、そんなに不便なくやっていけそうです。

 

なにより嬉しかったのは、同じ大学からの仲間がいるというのが心強かったことです。

他人を不自然な程に避けていたのが嘘みたいに、なんだかんだ仲良く楽しくやっています。

 

 

自分の言いたいことが言えないって、ものすごくもどかしい。

だから、色々な国の人と話すためにも、英語が話せるようになりたい。

だから、勉強したい。

 

日本に居た時は上手く繋がらなかった「なぜ?」が、こちらに来てからは面白いくらい上手く繋がります。

 

語彙が少ない。だから、単語帳を使う。知らない単語を覚える。

通じない。だから、発音をよくする。

言葉が咄嗟に出てこない。だから、出来るだけクラスでも話す練習をする。

 

やっぱり、勉強することの原点は「したい」にあるのだと

当たり前のことを思い出しました。

 

一週間が終わろうとしています。

充実していたし、楽しかった。

 

きちんと勉強して、英語のスキルを上げたい。

色々なところを訪れて、多様な価値観を身に着けたい。

人と積極的に関わって、愛に溢れた魅力ある人間になりたい

 

有意義なイギリス生活にするべく、余裕をもって、丁寧に過ごしていこう。と、

決意表明で終わろうかしら。

失敗が許されない社会

過ちを犯した人間を徹底的に吊るし上げる

今まで味方だった人が急に敵になる

社会復帰の余地を残さない

批判して、そして潰す

今までの活躍は棚に上げて存在を消し去る

まるで自分はその過ちを犯す可能性なんて無いかのように傍観者として「言及」する

 

そんな話題の取り上げ方では何も変わりゃしないのに

 

悪いことをした人には人権がない国

公に罪を犯した人をとことん懲らしめる

罪を犯さない人なんていないのに

 

どうしてそんなに構うの?

どうしたいの?何がしたいの?

 

もう、放っておいたら?

 

 

以上、

芸人が闇営業に関与していた問題への対応を見て思ったこと

辞めたい

やめたい


辞めたい、と思ったものを継続することのメリットってどこにあるのでしょう。


インターンも所属している学生団体も、もう辞めてしまいたい。


思えば「辞めたい」という思いは突然湧いてきたものではなく、

一回お休みして距離置いたりしてみたものの、消えることのなかった思いだったり。


少し休んでみれば何か変わるかと思ったけど、ますます辞めたくなる一方だったじゃない。


でも、どこかに「ここで逃げ出していいの?」という思いもあって。

 


辞める自分を後押しする気持ち

・辞めたい、という自分の願望が叶えられる

・辞めたいと思ったものを辞めなくて後悔したことはあっても、辞めて後悔したことはない

・今やりたくても出来ていないことに時間を使える。勉強したり、旅行行ったり。

・ミーティングがなくなれば、バイトも増やせて稼げるようになる

 


辞めていいの?と思う原因

・迷惑がかかる

・恩を仇で返すことになりかねない

・途中で逃げ出した、という過去が出来る。逃げグセが付きそう

 

こんなこと書き出したって結論なんて出ないのに。

 

辞めたきゃ辞めればいい

…本当にそれでいいのかしら

 

嘘をついて抜けますか

それとも素直に言いますか

素直に伝える必要はありますか

こんなの送られてきたら引きますか

 

『突然ではありますが、辞めたいと思ったのでこの団体から抜けさせて頂きます。

 

辞めたいと思ったものを辞めて後悔に襲われるより、

辞めたいと感じたのに辞めずに心を浪費する方が今は怖いので。

 

辞めたいから辞める。

無責任かもしれせんが、これって当然のことではないのでしょうか。辞めたいと感じたことを続けるメリットが、私には分かりませんでした。

 

沢山お世話になったのに、こんな形で辞めることになり申し訳ないです。迷惑かけてごめんなさい。

 

今後一切の連絡を断たせて頂きます。ありがとうございました。』

 

今まで築いてきた人との縁は?

またお別れ?

 

別れ無しに出会いは無いっていうけれど…。

父の日

母の日にはなんだかそれっぽいことが出来るけど

父の日には何をすればいいのか分からなくなるのは昔から。

 

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2019年5月3日 父と母と ひたち海浜公園

 

昔はただただ好きだった父の姿。

いつの間にかその立派さに圧倒され、追いかけるのさえ嫌になっていました。

 

尊敬というよりは、どうしてそんなに?という感じ。

どうしてそんなに頑張れるの?

どうしてそんなに立派なの?

どうしてそんなに、家族の為に尽くしてくれるの?

 

父の背中を見ていると、

自分の情けなさを見せつけられるようで嫌になる。

 

そんな感情を抱くようになったのはいつからでしょうね。

 

 

家を出たい

自立したい

社会人になりたい

卒業したい

大人になりたい

 

こんなの、実家暮らしの甘ちゃん女子大生の理想でしかないかもしれないけれど。

学費を親に頼るしかないこの状況から抜け出したい。

誰かを頼らないと生きていけない。

所詮何を考えても、親の保護の下で生きている学生の理想論でしかない。

そんなのが悔しかったり。

 

留学を機に、ウィークリーマンションで生活してみようかしら。

もっと自立した金銭感覚を身に着けようかしら。

 

自立したいと思うならやってみればいい。

 

 

大分話はずれましたが、

結局父と同じように生きていくのは私には合っていないし、無理だとうなあと思ってしまうのです。

客観的に見て立派だとは思うけれど、そうなりたいとは微塵も思わない。

 

そんなことを言ったら悲しむかもしれないけれど、

私は私のやりたいようにやってでも、

早く親を安心させられるようになりたいなあと思うのです。

 

自然に生きる

テレビ番組でふと目に入った言葉たち。

言葉を大切にして生きる人が生み出す「ことば」には、はっとさせられるものがありますね。

 

近藤サトさん

 

元フジテレビアナウンサー。

グレーヘアーで最近よく取り上げられている方。

 

テレビで数分目にしただけ。

まだ何も知らない。

でも、その凛とした姿勢と言葉の美しさに惹かれるのには

たった数分十分だったみたい。

 

自然に生きるということは
意思をもって生きること

意思の先に自由がある

この言葉の意味がわかった時、

初めて私は何者からも自由になれる気がします。

 

「変身資産」

何が自分を次のステージにもっていくか分からない。新しい場にいくことの一番大きな収穫は、新しい人に出会うこと。

マイナーチェンジが人を大きく変えることってあるよね。少し勇気が出たり、堂々とあれたり。

 

上手く言えないけど、

久々に

本当に久々に、

「ああこの人かっこいい」と惚れ惚れした瞬間でした。

みんなぼっち

みんなぼっち

なんて言葉を本で見たことがあります。

なぜだか今日急に思い出した。

飲みに誘われなかったから?

いつも通り、人付き合いに疲れたから?

すごく寂しくなることがある。

こんなに恵まれた人間関係に身を置いているのに、

私のことなんて誰も分からないと悲劇のヒロインぶることが。

私が弱音を吐ける相手って?

遠慮せず本音をぶつけられる人って?

結局みんな一人ぼっちなんだと、

人生なんて寂しいものだと、

そんな風に割り切ってしまうしか

心を落ち着ける方法を知らんのです。

なんでこんなに寂しくなるのかしら。

気が利く人

他人に気を利かせる

 

いつからそんなことを気にしなくなっていたのでしょうね

前は他人を喜ばせるのが好きだった

小さな気配りをして、相手が喜んでくれるのが嬉しかった

 

いつからそんなこと気にしなくなっていたのでしょう

そんなの無駄な努力だと、労力の消費だと、そんな風に思うようになったのはいつから?

 

気を利かせる

気が利く人だと思われるような行いをする

 

それって素敵なことかもと私に思わせた記事はこちら

 

気が効くってことは、物事の効率を考えられることだったり、先回りできるってことだから、総じて気が利くって子は「頭が良い」って思うんですよね。だから、気が利く・利かないの違いはすごく大きいと思う。単純に接していて気持ちが良いとかじゃなくて、もっと大きな意味でね。

確かに賢い人には気が利く人が多いような気がする。

というか、賢いと思わせるような言動って「気が利く」言動なのね。

 

その人の働きから見えてくるのが個性で、グイグイ見せていくのが個性じゃないんだよ

 気が利いたことが出来る、というのは自分の「個性」をアピールすることにも繋がるのかも。自分の存在意義を相手に認めさせる。あくまでもこの「個性」って、対外的なものだとは思うけれども。

 

それに、まず先輩から可愛がられるよね、気が効く子って。先輩たちから可愛がってもらえるようになると、それだけ学ぶチャンスがあるでしょ?そうすると自然に育ててもらえる環境になってくるわけだし。

 人生の先輩からは学ぶことが沢山。私の思考回路は私が経験してきたことの中でしか展開されないのだから、自分の価値観を広げたいと思ったら、経験を積むか、経験を積んできた人に出会うのが手っ取り早いよね。

 

 

近頃の私はどうしても自分の頭の中だけで思考を閉じてしまうのです。

高校を卒業して、他人の意見を聞いたり共有したりする機会が減って、結果として嬉しくなるほどの共感や、怒りに近い反発を感じなくなっていて。

徐々に自分が幼稚で馬鹿になっていくような実感があって、それがすごく怖い。

 

自分で自分を閉ざしてしまわないで、

まずは相手を見て相手の発する言葉を聞くことから始めようかしら。

 

これ以上、馬鹿にはなりたくないもの。